日記を書こうという気が起きないので書けなかった。
とにかく思いついたら何か書くことにしよう。


佐藤優『獄中記』
まだ読み途中だが、なんという知性、誠実さか。
読み進めると頭が浄化されていくよう。
ここまでの文章をしっかりと書きとめられるのには震える。


どうにもこうにも本を読んでいる人には勝てない。
というか追いつけないが正しいのだが。
結果として処世術の人間であるがゆえに、ジレンマに陥ります。
成功しなければ反省もしないし、道も示せないが主義ではあるが、
処世術の人になるなとは言っておきたい気もする。



あとはもうとりとめもなく、思考の断片を記す。
いいかげん何か書かないと詰まりすぎてる。
ここ最近のテーマが、生きる目的とは、行動規範、倫理など。
何のために生きるのか、
missionでは無い、何か
バイト先幹部の発言「生きるために生きるんだよ」
金を稼ぐということの難しさから出たものであろうが、
非常に重く響く言葉ではあるが、これ自体はたとえ真理であろうと納得しない。


何のために生きるのか、何を守って生きるのかとも換言可能か
つまりは行動規範
しかれどもアドルフ・アイヒマンは行動規範を究極的に守ったのだろう
アイヒマン裁判をして
「一般的に見ればコミュニケーション不可能な、、、」
個人的には非常にわかる。まぁ政治裁判にとやかく言うつもりは無いが。


ここにあるのは倫理
時代の流れがいいことを決めるというのは正しいが、
戦争反対を前提に掲げるならば、個の考えは誤りを持つ。
戦争を種の淘汰作用と見て、ないしは国家持続作用と見て肯定するならば、
これは正しい。
戦争に対してどう考えるかは予想以上に重い決断を伴う。


E.フロム『自由からの逃走』からの引用

以下引用

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しかし「帰属」を求める欲求を、そんなにもはげしいものとするもう一つの要素がある。すなわち主観的な自己意識の事実、あるいは自己を自然や他人とは違った個体として意識する思考能力である。もちろんつぎの章で明らかにするように、自覚の程度は色々変化するが、この自覚あることが、人間を本質的に人間的な問題に直面させるのである。すなわち自己を自然や他人とはちがったものとして意識することによって、またたとえぼんやりとはしていても、死や病気や老衰を意識することによって、人間は宇宙や「自分」以外のすべてのものと比較して、自分がどんなに無意味で卑小であるかを感じないわけにはいかなくなる。どこかに帰属しない限り、人間はみずからを一片の塵のように感じ、かれの個人的な無意味さにおしつぶされてしまうであろう。かれは自分の生活に、意味と方向とをあたえてくれるどのような組織にも、自分を結びつけることができず、疑いでいっぱいになる。そしてけっきょくはこの疑いのために、かれの行動する力、すなわち生きる力を失うのである。

エーリッヒ・フロム 日高六郎訳『自由からの逃走』第一章より

引用終わり

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まぁいい、とにかく今年も終わる。